「自身が投稿する内容が正しいかどうか気になるところだが、必ずしも正確である必要はない。」
小さいことでも、間違っていてもまずアウトプットすることが大切かもしれない ということを学んだ
上の記事のを読んで、感銘を受けたことをピックアップ
1. 「SECIモデル」という考え方
この記事を読んではじめて「SECIモデル」という概念について知ったんだけど、
これがすごく納得できた。
知識の共有・活用によって優れた業績を挙げている“知識創造企業”がどのようにして組織的知識を生み出しているかを説明するため、一橋大学大学院の野中郁次郎教授らが示したプロセスモデル。ナレッジマネジメントの基礎理論として知られる。
僕の在籍しているの会社の、開発チームの先人たちは、暗黙知をたくさんもっている方々なんだけど、
その方々は協力会社の人っていうのもあるし、うちの会社の社員で開発をする人間がごく最近になって初めて入ったこと
(それが僕なんだけど)もあって、知識の横展開、共有っていうのがあまり進んでいない。(これまではする必要がなかったからなんだけど)
それはこのSECIモデルでいう、表出化(Externalization)「得られた暗黙知を共有できるよう形式知に変換するプロセス」が行われていないことに相当すると考えられる。
すべての知の源泉は個々人の体験に基づく暗黙知であり、まずそのレベルで相互理解(OJTや手取り足取りなどの経験伝授、以心伝心など)を進める(共同化)。しかし個人に属する暗黙知は、そのままでは他者と共有しにくいため、言語や図表、数式などによって形式知に変換する(表出化)。言語化することでよりコンセプチュアルになり、本質理解が進むことも期待される。
納得できた理由は、このSECIモデルを知る前に、まさに、彼ら先人の知識を僕が言語、図、数式等で明文化を図ろうとしていたところだったからだ。
2. 「正しい情報でなくても、コミュニティに育ててもらえばいい」という表題の
技術者であれば、自身が投稿する内容が正しいかどうか気になるところだが、必ずしも正確である必要はない。「インターネットで正しい回答を得るために最善な方法とは、質問することではなく、間違った投稿をすることだ」というWiki創設者のカニンガム氏のコメントを引き合いに、及川氏は「最初から完成したモノを投稿するのではなく、間違いを前提にコミュニティに育ててもらえばよい」と及川氏は指摘する。
というお言葉
この言葉を見た瞬間、自分のこのブログの投稿数の進まない理由を悟った。
いかんせん、Qiitaではないですが、僕も成長につながればと、hatena blogでアウトプットをはじめたわけで。
本ブログを始めた目的
- 覚えた知識をアウトプットして自分のものにする(成長の期待)
- あわよくば、付随情報や正しい情報などいただく(より正しい情報の獲得)
- 自分の学びを残して自分録をつける(歩みを残す)
っていうふう"自分のため"に、学んだことガシガシ書くぞー!って感じだった。
しかし、、、 勢いよくはじめてみたもののなかなか投稿数が伸びない
主な投稿数の伸びない理由
- 覚えた・理解した知識に自信がない
これに尽きる
「覚えた・理解した知識に自信がない」
もっというと
- 間違っているかも
- 世間的に知ってて当たり前かも(面白くないかも)
言い換えると、「他人を気にしすぎ」
当初の目的は "自分のため"だったはずが、"他人を意識"していることに気づいたわけです。
投稿しようかと思ったことをたびたび胸にしまっている自分がいたわけですね。
そんなわけで、あんまり萎縮せずに、小さいこと、あってるかわからないけど自分なりに納得したことをもっと積極的に書いていこうと思いました。