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「才能」だとか「努力」って言葉

「センス」だとか「天才」だとか「凡人」だとか、その他いろいろあるけど僕がすごく苦手な言葉

これらの言葉は、結果論でしかない。

便宜上、使いやすい言葉なのは確かにそう思うし、使っちゃダメとは思わないけど、これらを何かの「理由」に使うのは違うと思う。


例えば 

「あいつは、もともとセンスがあるから努力しなくてもできて、俺はそれで負ける」

こういうこと言う人たちを見るといつも "また見えない何かと戦ってる" って心の中で呟いてる。
これは相手の取り組みとか過程ってものを度外視した発言だし、さらに発言者がどれだけやってきたかなんて知らないよ。ってお話なんだけど

もとより戦いごとでみんながわかることは 勝ったか負けたか できたかできないか どんな点数がでたか の"結果"だけで
普通はわからないし、"過程"なんかは自分の外に持ち込むべきでない。というか持ち込んでもわかってもらえるよう(本当に伝わるよう)な内容ではない。 "結果"がなければね。

"結果"を持ち合わせていないで、そういった話を持ち込んだ瞬間、ただただ "ダサい" んだよ。

なぜって、その人がどれほどの積み重ねをしてきたか、相手がどれほどの積み重ねをしてきたかなんてその本人しか知りえない。
また不毛だとも思う。 その本人たちは自分以外の積み重ねを知らないから比較しようがないのだから。

「俺はあいつよりやってきている」

それはいったい何のことだろう。量? 時間?
量をやればうまくなるだろうか。時間を費やせばうまくなるだろうか。
僕の経験だと、0にいくらかけても0だということがよくわかっている。大切なのは質、自分にとっての質。
頭使って最良と思われる手法を理解して、適したやり方を取り入れていかなくてはうまくならない。
また、何が自分にとって最良の練習だかってのは人によるから、話を聞けばうまくいくというのもまた違うところが難しいところではあるけど。
どれだけ頭を使って、どれだけ工夫して、どれだけ繰り返したかの過程が、確固たる実力に繋がるのは間違いない。
けれど、その"過程"なんてのは、伝わりづらいよ。結果を持ち合わせていなければ尚更。



ただ回数重ねるのなんて誰にでもできる。そしてそれらのことは、基本的に自分以外わからないこと。
事細かにこういうことをやったっていう"説明"と"事実"と、
それを実証できる"結果"がないと誰もわからない。本当だとも思わない。比較しようがない。

だから結果が出ない限り何を言ってもしょうがない 嘆いてうまくなるならみんな嘆くだろう。

誰にでも認められるには、 わかりやすい "結果" を出せばよい。
とんでもない愚行を侵さない限り、ほぼほぼ認められる。

そんなわけで 冒頭の発言は弱い・下手側の言い訳にしか聞こえないのだ。


認めてもらいたいから続ける人って僕含め多いと思うけど、それはみんなそうだと思ってるしすごく当然だと思う。
スポーツだってそうだよ、好きで、世間に認められて、対価ももらえるからやるんじゃないの。対価だけなら別にその事柄にこだわる必要ないと思うし、ただ好きな人は別に成長とか望んでないだろうから冒頭の言葉のような文句は垂れないだろうし。
そうなるとやはり成長して、それを認められて、実感することが醍醐味なのさ。


あ、あとこれは僕の経験則だけど、大体この言葉を理由に何かモノ申している人は"往々にして大して取り組んでいない" 手を動かさず口ばかり動かしてる人たちね。
で、こういうこと言ってる人たちは対外、自分はこんなに頑張ったのにうまくいってない こんなにやったんだよ僕も認めてよって周りが見えてない、自分がかわいくてしょうがない方々